2012.6/8.

萩の町 そして 宝物 by ts

萩は毛利氏の治める長州藩の本拠地として江戸時代に発展した日本海に面する山口県の町です。阿武川の河口の三角州に建設された萩城を中心に城下町が形成されていきました。萩城の回りに武家屋敷ができ、城の堀の外側にいわゆる町人の町が形成されました。400年経った今でも、その城下町の風情がたっぷりと残る町です。

こちらの写真は武家屋敷の地区のものです。

ただ、武家屋敷自体は、明治になってから取り壊された物が多く、その後に夏みかんの木が植えられて、みかん畑になっているところも多くありました。下の朽ちた土塀の内側に夏みかんがなっているのが見えますか?

こちらはいわゆる町人町の横町の様子です。

この通りは町人町といっても、蘭学者などの知識人が多く住んでいた通りです。

この壁は大豪商、菊屋の屋敷のなまこ壁です。広大な敷地のお屋敷です。

さて、せっかく萩にきたのだから、やっぱりどうしても萩焼を手にいれたいですよね。町中にはいたることろに萩焼の店はあるのですが、なんだか今ひとつ、ピンとくる物が見つかりません。現存のそこそこ有名作家のものだとバカ高いし、そんなに魅力を感じないし。どうしようかなって思って町人町を歩いていると一軒の小さな骨董屋を見つけました。ここなら面白い物が見つかるかもしれないと思い入ってみると、すごい物を見つけてしまいました!!

萩焼はもともと茶陶として茶人に好まれてきたのですが、その中でも何人かのいわゆるビッグネームの作家がいます。そういった名前は何代もの間受け継がれてきています。もちろん、抹茶用のお茶碗は結構な値段がするのですが、箱がないものとか、お茶碗以外の物は案外、というかすごく安く手に入るようです。いろんな物が置いてある店内を物色しているうちに、まず、見つけたのがこれです。

12代、田原陶兵衛のぐい飲み。当代が13代なので先代のものになります。昭和の初め頃のものです。陶印もちゃんとあります。手ひねりの暖かみがあるちょっと赤みのある釉薬がかかっています。なんと二つで¥5,000.です。手の治まりもすごくぼく好みのものでした。本来は煎茶用のお茶碗として当時に作られた物じゃないかと店の人が言っていました。

そして、さらに見つけました!!

12代坂倉新兵衛の猪口5客セット。大正から昭和の始めに活躍した人で、現代の萩焼の基礎を作った人としてとても有名な人で、山口県指定無形文化財に認定された人です。とても、小さくて薄い生地の型変わりの猪口です。一口で飲めそうなお酒しか入りません。この頃の酒器はこのくらいの小さい物だったようです。でも!!オリジナルの作家の名前が入った箱にはいっていました。箱の保存状態もすごく良い物です。これも¥15,000.で手に入れました。

田原陶兵衛兵と坂倉新兵衛のものが、こんなところでみつかるなんて思いもよらなかったのでものすごく嬉しかったです。まあ、物故有名作家のものなんてそれを知っている人の自己満足にすぎないのですが、僕にとってはものすごい宝物を見つけた幸福感でいっぱいの旅でした。  ts

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